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parmesan higashi-Omiya

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2005年 08月 12日

幼年期の終り

 僕の恋人だった人は、マリノスが好きだった。もちろん僕は大宮の応援をしていて、そのことを彼女も勿論知っていた。でもマリノスが勝つと彼女が喜ぶから、それが嬉しくて僕は大宮の試合の合間に一緒に横浜に行ったものだった。
 動機が何であれ、繰り返し接してるうちにマリノスにも横浜にも自然と愛着が持てるようになった。そう、そもそも僕が初めて見たJの試合は、他でもない横浜マリノス、まだFが付いてなかったマリノスだったんだ。
 大宮は自分が生まれそして骨を埋めるべき場所なんだってことは当然のごとく感じていたんだけれども、でも大宮がJ2にいるまでは横浜に愛着くらい持っても構わないだろうって、正直、その頃はそう思っていた。マリノスの試合日程ができるだけ大宮の試合と重ならないことを願っていた2003年までの話だ。

 2004年。僕は自分のことしか考えなくなって、彼女をたくさん泣かせてしまった。自分のことしか考えられなくなった僕は、何が本当に大切なものなのかも見失ってしまっていた。しかも、大切なことを見失っていることにも、気が付いていなかった。ただひとつところに向かって進むしかできなくて、まわりの景色なんて全然見えなくなっていた。我ながら、本当にバカで脳天気な自分。。
 後になって、一度失ったものを取り戻したいと思ったけれど、そう思っていたにも関わらず、結局のところ僕は本当に大事なことから逃げていた。もっとも、「大事なことから逃げていたなぁ」と気が付いたのは、彼女を本当に失った後だったんだけれども。



 僕は今、彼女を失ったから、大宮の応援に専念できるようになったのか?多分、そうだろう。多分そうなんだろうなって、今の僕はそう思ってる。もし今でも二人の穏やかで温かい日々があったなら、僕はここまで大宮の応援にのめり込めることができなかっただろう。「大宮は失恋の憂さ晴らしなのかよ」と言われてしまえば、そうですと認めるしかない自分は、情けない。

 でも、大切なひとを失ってもこうやって毎日を暮らしていけるのは、大宮のおかげなんだよね。彼女から終りを告げられた時は正直、本当に生きる気力も失った。何ごともなかったかのような顔をして仕事をしたり人と接したりしてたけど、生きることに後ろ向きだった。何をするにも力が入らなくて、何処にも行きたくなかったし、誰にも会いたくなかった。そんな暗い時期でも、僕はなぜか大宮の試合だけはちゃんと(?)欠かさなかったんだ。
 生きてる意味を見失っていても、あの90分間のことを考えたら苦しみをやり過ごすことができた。そして、あの90分間を通過すると、次の試合までは生きててもいいな、と思えた。そして、作り笑いしかできなかった自分が本当に心の底から笑えたのは、大宮で共に戦う仲間達と一緒にいられる時間だけだった。

 週末を迎える度に、僕は前を向いて進めるようになったんだ。まだまだ心の中には、鈍く疼くような苦しい想いがくすぶっている。それでも今は随分前を向けているし、少なくとも早死になんて絶対したくないって、そう思ってる。



 ここを立ち上げたのは、去年の8月13日。もう1年だ。こんなあからさまな想いを世間に晒すのは正直辛いのだけれど、自分の中に溜め込んでいても何もならない。だから、節目だからって訳じゃないけど、溜め込んでいたものを吐き出してみる。

  そして僕にはまた、救いの週末がやって来るんだ。次の相手は・・・そう、マリノス。ここを超えることで、僕は一体何を得ることができるんだろう?よくわからない。
 よくわからないけど、何か得られるかも知れないし、何かわかるかも知れない。何か始まるかも知れないし、何か終わるかも知れない。

by f.c.barg | 2005-08-12 00:37 | ビギニング


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